2001年から始まった私の母国である中国との医療交流プロジェクトも今年で第3回目となりました。昨年はまず日中国交正常化30周年記念として開催された日中医学大会2002に参加した後、中国国内の6つの病院を訪問し、9件の冠動脈形成術(PCI)を実施してきました。今年は当初5月に訪中する予定でしたが、SARSのために延期となっていました。年内は訪中できないだろうと思われましたが、SARSが予想以上に早く終息したのと中国側からの強い要望により急遽今回の訪中が決定しました。今回は滞在期間が6日間と昨年よりも短くかなりハードではありましたが、4つの病院を訪問し、14件のPCIと実技指導などを行い、新しくいくつかの知見も得てきましたのでここに報告します。
2003年8月19日正午過ぎ北京首都国際空港に到着しました。SARS終息後初めて、それも間もない時期の訪中だったので、どういう状態になっているのか少々不安でしたが、空港内の雰囲気はいつもと変わりありませんでした。ただ検疫所を通過するのにすごく時間がかかっていたので、やはりチェックが厳しいのかと思われましたが、実際には問診票のチェック(とくに中国滞在中の連絡先のチェック)に時間がかかっているだけでした。空港を出たあと301医院の王先生と9ヶ月ぶりに再会し、元気な顔を見ることができて安心しました。301医院でも30数人のSARS患者が入院し、20人の医師が感染したそうですが、幸い死亡例は1例もなかったそうです。王先生自身はSARSが終息するまで約2ヶ月間自宅待機を命じられ、その間仕事もなく食べてテレビを見るだけの生活で太ってしまったそうです。当時は地方へ避難した人も多く、北京市内はほとんど人がいなくなり、犯罪件数がゼロになったとのことでした。現在は以前のように人と活気にあふれ、つい2-3ヶ月前までSARSが猛威を振るっていた痕跡は少しも認められませんでした。また、中国とこんなに近い日本でSARS患者が一人もでなかったことに対して、日本は特別なワクチンでも使っていたのではないかと思われていたそうです。
毎年来る度に北京は急速に変化してきています。昨年までと比べて新しいビルがどんどん建てられており、また市内を走る自転車の数が減って、自動車それも日本車の数が増えていました。近年の開放政策以降、急激な経済成長とともに一般市民の収入・生活も急激に豊かになり、マイカーを持つ人が増えてきているとのことでした。携帯電話も昨年までは白黒液晶で、着信音も妙に響く電子音だったのが、日本と同じようにカラー液晶で、小型でお洒落な折りたたみ式のものに変わっていたのが印象的でした。医療事情にも変化が起こり始めており、現在中国の病院はすべて国営ですが、近いうちに大半の病院が民間に売却されるようになるとのことでした。PCIができる施設については、昨年の日中医学大会では中国全体で111施設しかないと報告されていましたが、この1-2年でその数は急激に増加し、たとえば山東省だけでも60施設以上に増えたそうです。また、昨年蘭州の病院で見たような安い価格の手動のアンギオ装置でやり始めた施設も多いとのことでした。
8月20日午前、北京大学首鋼医院を訪れ、2例のPCIを施行しました。この病院は以前は鉄道関係の病院でしたが、最近北京大学の附属病院の一つになり、学生の実習も受け入れているとのことでした。2例ともそれほど難しい病変ではありませんでしたが、久しぶりに中国で行うPCIだったので丁度いいウォーミングアップになったというか、そのあとにハードな症例が続くとはこの時点ではまったく想像もできませんでした。
8月21日午前、北京市第六医院を訪れ、3例のPCIを施行しました。この病院はベッド数600床で、5年前にPCIを開始し現在年間150件のPCIを施行しています。この病院は毎年海外からのドクターが何人も訪れ、湘南鎌倉総合病院の斉藤滋先生も毎年来られているそうです。1例目は診断造影後ダイレクトステンティングで終了しましたが、2例目・3例目は慢性完全閉塞病変(CTO)でワイヤークロスが非常に難しく時間がかかりました。この日は午前中に4例予定していましたが、午後から飛行機で貴州省まで移動しなければならず、結局3例しか実施できませんでした。
3例目が終了してから飛行機の出発時間まで1時間しかなくなり、大急ぎで空港に向かいギリギリで間に合いましたが、空港に向かう車中で4例目に予定していた患者と家族がPCIしてもらえなかったことに怒りと不満を訴えているとの電話が入り、急遽最終日24日の午前中に行うことで了承していただきました。
18:00貴州省貴陽空港に到着、ワゴン車で遵義市に向かいました。途中近くを流れる烏江という大きな川にしかいない魚と豆腐を唐辛子で煮込んだ地元名物の鍋料理を食べ、21:30遵義市内に到着しました。遵義という町は、かつて毛沢東が一時中国共産党から迫害され避難していた時期がありましたが、蒋介石率いる中国国民党に対抗するため新しい共産党のリーダーとして毛沢東を選んだという中国の歴史上非常に重要な会議が行われた場所で、市内にはその会議が行われた建物が観光地として今でも残っています。
8月22日午前、遵医附院を訪れ、3例のPCIを施行しました。ここは遵義医科大学の附属病院で、許先生という若い先生が1年間大連の病院でPCIを研修した後、昨年の12月からこの病院でPCIを始めたばかりでした。1例目は前壁中隔急性心筋梗塞2週間目の2枝病変で、左前下行枝(LAD)にステント留置後、左回旋枝(LCX)をバルーン拡張しようとしたところで停電になってしまいました。病院全体の電源が落ちたようで補助電源で回復するまでに1時間近くもかかってしまいました。幸い患者さんに異変はなく、復旧後PCIを再開し無事終了することができました。2例目は3枝病変でステントを3個留置。3例目はLCX起始部に中間枝が絡んだ3枝病変で、左主幹部および中間枝にかかる影響を考慮してバイパス手術を勧めましたが、この病院には心臓血管外科がなく、どうしてもPCIしてほしいとの要望もあり、低圧拡張で様子を見ながらすることになりました。今回このLCX起始部の病変に対して初めて薬物溶出性ステント(DES)を使用しました。DESバルーンは通常のステントバルーンに比べてシャフトが太くステント部分も硬いので必ず十分な前拡張が必要になり、この病変に対しても狭窄はそれほど強くはありませんでしたが前拡張なしでは通過困難でした。幸い1回の拡張で良好な仕上がりが得られたので終了としました。1例目の途中で停電したのと、3例とも難しいところだけ自分がやってあとは許先生に指導しながら実施したのとで予定よりもかなり時間がかかってしまい、終わるとすぐに自動車で貴陽市内へと移動しました。
移動の車中では貴州省人民医院の楊先生から「まだか、まだか」の電話が何回もかかりましたが、18:00にようやく病院に到着、すぐにPCIを開始しました。1例目は右冠動脈RCAのCTOを含む3枝病変でしたが、術前からこの患者はお金持ちなので治療費を気にする必要がないことと、とにかくきれいに仕上げるために4ヶ所すべての病変にDESを入れてほしいとの依頼があり、術前の依頼通り4個のDESを留置して終了しました。2例目はLADのCTOでした。LAD本幹の分岐部が全く不明でワイヤーの挿入にかなり難渋しましたが、石灰化の見える位置を見当にして何とかワイヤー挿入に成功しました。2例目が終わったらすでに22:30を過ぎており、疲れすぎて夕食に用意してくれたお弁当も食べられずホテルに向かいました。
8月23日は朝8:00からPCIを開始しました。1例目はLADがCTOの2枝病変で、CTOが非常に硬くSHINOBIを使ってようやくワイヤークロス成功し、ステント留置。引き続きRCAに対しDESを留置して終了しました。2例目・3例目ともに2枝病変でしたが、いずれも高度複雑病変で、きれいに仕上げるのにかなりの時間がかかり、結局朝8:00から開始して、途中昼食も摂らず、3例目が終わったのが16:30でした。この病院で最初に予定していた患者は8例でしたが、私がPCIをしている間に希望者がどんどん増えて最終14例にまでなったとのことでしたが、いずれも難易度の高い症例ばかりだったのと、滞在時間が短かったために5例しかこなすことができませんでした。待たせた上にPCIできなかった患者さんには非常に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、北京へ戻る飛行機の時間が迫っていたので、ゆっくりする暇もなく17:00に病院を出発しました。
8月24日(最終日)、先日時間がなくなり1例延期してもらった北京市第六医院で朝8:00からPCIをする予定でしたが、病院に向かう車中で帰りの飛行機のチケットをもらって見たら、13:55発の予定が9:20発に間違っているのに気づき、慌てて空港に向かいました。最悪チケットの変更が出来なかった場合、9:20の飛行機で帰らなければならなくなり、そうなると待ってもらっている患者を再びキャンセルすることになり、患者さんとドクターの怒りを考えるとどうお詫びしたらいいかわからなくなりそうでしたが、幸いチケットの変更ができ、約1時間遅れの9:00に病院に到着することができました。最後の症例は、LCXとRCAのステント内再狭窄で不安定狭心症になった症例で、病院の向先生にカッティングバルーンの使い方を指導しながら実施し無事終了することができました。PCI後病院のCCUを見学させてもらい、向先生のお見送りを受けて帰路につきました。
前回中国ではいくつかの理由で80%以上の症例にステントが使用されていると報告しましたが、現在はほぼ100%の症例に使用されており、そのうちDESが占める割合は約10%とのことでした。現在中国で使用できるDESはB社製(2万元)とC社製(4万元)の2種類ありますが、やはり高額であるため思っていたほど多くは使用されていませんでした。気になる再狭窄については狭心症が再発した時以外は日本のような確認造影は行われておらず、再治療率(TLR)は約5%で、ロングステントや3個以上留置した場合に再狭窄が多い傾向があるとのことでした。高額な医療費を払って治療を受ける患者や家族を納得させるためにはできるだけ造影上の仕上がりをきれいにする必要があり、必然的にロングステントや複数個のステント留置が多くなる傾向がありましたが、今後DESの価格が下がりもっと普及するようになれば再狭窄の心配はさらに減るだろうとのことでした。
昨年に引き続き今年も中国国内の病院を色々と回らせていただき、各地で患者さんを治療させていただけたことは非常にいい経験になりました。昨年は初めての経験だったので、自分が現地で手術を成功させるのに精一杯でしたが、今回は勝手がわかり慣れてきたこともあり、拙い英語と中国語を駆使しながらではありますがある程度自分のペースで治療することができ、現地のドクター、特に地方の若いドクターに指導することができたのも大きな成果でした。また日本ではまだ使うことができないDESをいち早く使うことができたこともいい経験になりました。しかし、今回は滞在期間が短くあちこち回るには時間があまりにも短すぎて、いくつか問題が発生しました。たとえば、移動の時間、とくに飛行機の時間が決まっているため、時間が迫ってくると手術に集中できなったこと、今回は幸い手術の途中で終了するようなことはありませんでしたが、手術時間が長くり予定していた手術を消化しきれなかったこと、手術終了後すぐに移動しなければならず現地の人たちと交流する時間がなかったこと、難しい症例が続くと体力の消耗が激しく、集中力も低下したことなどが挙げられます。以上より、次回からは1ヶ所に集中して数日間滞在するような方法に変更しようということになりました。また、だいぶ慣れてはきましたが日本と中国では手術適応や治療目標などが異なるため、治療戦略や終了時の判定など難しい場面もたくさんあり、今後の大きな課題になると思われました。そして中国でPCIが急速に普及していくのは嬉しいことなのですが、バックアップがない施設が非常に多く、次回からは安全面についてももっと言及していきたいと考えています。
(文:理事長 陳 若富)